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第193回 教育には「見切り発車」がつきものである⑤

2017年09月07日

シュンペーターは資本主義の原動力は「家族動機」にあると言っているつまり、「自分の家族のために遺産を残そう」という動機が働く原動力であると言っている。そうすると、家族ため、子を守るためだから、当然自分の死んだ後のことも考えて行動する。これこそが資本主義の原動力であると言っている。 昨日一国一城の主となることが男のロマンだったといったが、それはまさに「家族動機」からやってきていたのである。しかし最近は持ち家よりもマンションいや借家で住むことを好む方が増え、住まいよりも生活の中身を重視するという観念に切り替わってきた。それは大企業の経営者が経営者でありながらサラリーマン化してしまっているためにあるとシュンペーターは言っている。そこから家長制度は失われ、社長という権威も小さくなり、日本人みな欲求がなくなってしまい、官僚化=社会主義化してしまったのであるとも言っている。

つまりスタッフの根本にある人生観は、この「家族動機」をいまだに追求するものにあると言ってよいであろう。そこで最初に現れる「家族動機」は何か?それは子供の進路であろう。お受験をさせたいという願望が子供への塾通いに現れる。それは小学校3年生からだから2年の2月ぐらいには目標の中学と学力がある程度なければならない。偏差値で言えば4と5しかない。これまで子供を持っていくのに相当な親の労力がかかっている。受験は子供なのだがそれをコントロールしている親の方が大変なのである。これを目指したかどうかで親の地位・名声・収入も必然的に判ってくる。やりたくてもできない、いや考えもしない者にはスタッフを要求しても夢物語で終わってしまう。いや周りからつぶされると言い換えた方がよかろう。

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第192回 教育には「見切り発車」がつきものである④

2017年09月06日

さてそこで「躾とは何か」ということになるのだが、躾は字のごとく「身を美しくする」ということになるので、掃除・片付け・整頓などになってくる。

「勉強しなさい」も躾の一部であるが、現代の勉強は「暗記すること」になっている。「受験=暗記=机にじっとしている人」ということになる。これも一部躾が関係してくるのだが、どちらかというと親から受け継がれた天性のものといってよい。東大・京大行っている連中がみんな日本国での金持ちかというとそうでもない。東大卒の連中でも庶民はいるのである。となると勉強ができることは一つのバロメーターにはなるが、すべてではない。しかし社会人の基本は「躾されている」ことに尽きる。躾とはある面鍛錬となる。つまり打たれ強いことである。 なよっとしてちゃあきまへんわ。そこに歴史に学ぶのである。家長制度とは何だったのか。「威厳・権利・義務・分家・独立」大黒柱は強くなくてはならなかった。上座があり、風呂入る順番も食事に箸つける順番もしっかり決められていた。地震も雷も火事も親父も「怖いもの」だった。

そういった環境に育った連中は今は皆無になってきたが、なってきたからこそ彼ら彼女らが社会での「長」=スタッフになっていくのである。

社会での長と言われている人の人柄をよく観察すればよく分かる。それを見習えばいいのである。しかもまずは家庭でである。家庭でできないことが社会でできるはずがない。家庭でできて、社会でできれば次に考えることは「持ち家」である。いっぱしに一国一城の城主になるのである。これが男のロマンである。

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第191回 教育には「見切り発車」がつきものである③

2017年09月05日

さてスタッフになる条件がまたむつかしい。作業はもちろんのことである

作業は所詮一人芝居。自分を自分でコントロールすればよい。独身者の特権はまさにここにある。家族を気にしなくて自由気ままに生きていけばよい。ところが家庭を持ち子供ができると、自分のことはもちろん家族のことに対して責任を持たねばならない。何か子供がやらかした。それも親の監督責任とくる。学校の成績が悪い。これも親の指導責任である。ことあることに親の責任となる。

会社もそうである。ラインは自分の作業結果は自分のこととなるが、スタッフはメンバーの作業結果はスタッフの責任となる。しかも自分でも作業しなくてはいけない。まったく家庭における親の役割と同じなのである。特に20代の社員は、家庭における中学生位までと同じと考えられる。とにかく手間暇かかる。仕事が作業としてとらえてしまう。中には「作業さえできればよい」と真に視野の狭いものもいる。そこに違った環境からやってきた者を育てて行く大変さを目の当たりにすることになるすると便りべきものはその会社の企業文化=風土である。それにのっとって「躾」をして行くのである。それに素直に従えないものが9割あるだろう。しかし残った1割の者はスタッフになりえる。

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第190回 あなたはお金と時間を何にかけますか?

2017年09月05日

お金を貯めるには、消費、浪費、投資という3つを意識してお金を管理することです。

消費のお金とは、毎日生きてく上で、最低限必要なお金の事。家賃、食費、水道代、光熱費、生活日用品購入費など。

浪費のお金とは、なくても生きていけるものにお金を支払う事。贅沢品を買ったり、娯楽に費やすお金など。

投資のお金とは、自分が成長する事や今後自分に見返りが期待できるような事にお金を使うこと。料理教室に通って自分で教室を開くとか、資格の勉強の為に本を買うとかなど。

そして、3つの中でこの投資にお金をかけること。これが一番いいお金の使い方なんだそうです。お金持ちはこういう仕組みをちゃんと知っていて、自己投資をたくさんしているからお金持ちになっている。逆に貧乏な人は、浪費にお金を費やしてしまってるそうです。

これはお金だけじゃなく、時間にも同じ考え方ができます。

時間の消費とは、必要最低限な時間の使い方。仕事、睡眠、食事、入浴。毎日生きていくうえで絶対必要な時間の使い方。これを削ることもできるけど、生活に支障をきたす可能性が高い。

時間の浪費とは、意識的でなく、惰性で物事を行っている時間。目的のないネットサーフィン、テレビのながら見などは時間浪費にあたります。この浪費時間を削ると、使える時間がもっと増えてくると思います。

投資の時間とは、未来がよりよくなるように使っている時間。頭を使って自分で何かを考える、行動ている時間。今の自分より、もっといい自分になれるような時間の使い方。

お金同様に、時間も投資にかけること。つまり“自分が成長する事や今後自分に見返りが期待できるような事”にお金と時間を使うことで、自分の未来が変わってきます。

あなたはお金と時間を何にかけますか?

山本

 

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第189回 教育には「見切り発車」がつきものである②

2017年09月04日

スタッフの仕事は人を育てることにある。まずは「教育」が次に「訓練」がくる。この時間割合は教育が3で訓練は7となる。訓練の終盤に入ってきたら、目標は「独り立ち」になる。スタッフがいなくても作業が何とかできる。困った時にスタッフを呼ぶ。この程度で良い。「まだあれもできない、これもできない」当然そうである。細かなことよりも「1日の流れが理解できることが最も大事となる。1日の中に今まで経験したことがないことがどんどん出てくる。それはその都度説明していけばよい。この状態を「見切り発車」と言う。完璧に育つまで待っていたら1年経っても3年経ってもあかん。その間にまたやり方が変わっていく。変わっていくからまた説明する。きりがないのである。

仕事の心意気はラインのご本人が「覚える気がある」ことにある。相手の気があるからスタッフは時間を割く。いや誰もが初めのうちは一生懸命にスタッフの言うことを聞こうとする。しかし誰もがこれは同じだがご自分が勝手にできるようになったと勘違いし、周りの状況も理解できずに気に入らなくなっていく。自分のやり方が正しいと思い込むのである。しかしスタッフは役目を終えている。ポジションチェンジがない限りスタッフがラインに教育することはない。スタッフにも他にやるべきことがあるのだ。この状態ではラインが一人前の社会人として成長していることが大切となる。スタッフはラインの親ではない。

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第188回 教育には「見切り発車」がつきものである①

2017年09月04日

会社に新入社員を入れる。これは何のためか?それはその会社の長年の伝統を引き継いでもらいためである。伝統とは企業文化である。

一旦採用され部署に配属される。月日がたってくるとその人間はラインかスタッフか判断される。それは上司が判断するだけでなく、先輩や仲間もである。スタッフになれば「企業文化」を引き継ぐことに徹していくことになる。これによって彼らの地位・名声・収入が決まっていく。

スタッフはラインを教育する。ラインに求めるものは決められた作業を間違いなく一定の時間で行ってもらうことである。

まずは「教育」から始まる。教育とは「不足する知識と経験を補うこと」である。そして次にやってくるのが「訓練」である。訓練とは「繰り返し繰り返し同じ作業を行って、早く正確にできるようさせること」である。

作業できるからスタッフになれるわけではない。作業は今AI・機械化になっている。作業員はその機械の取扱者になりつつある。そこには「職人=子弟制度」はもはや失われている。

しかしスタッフには子弟制度は残されている。スタッフ作りは常に「一子相伝」なのである。あくまでも教えられる側の欲求があるから、日々鍛錬が行われるのである。鍛錬とは我慢・矛盾の理解・犠牲・苦労 それこそラインにとっては全く近寄りたくない世界なのである。

そこで最初に戻るが会社は人を採用する。何のためにかである。

師は経験上無駄骨はおらない。それほど暇ではない。ましてやラインに口出しする時間はないのである。

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第187回 豊臣秀吉は千利休も殺した

2017年08月24日

豊臣秀吉がなくなる前に千利休を切腹させている。利休は武士ではないので切腹させる必要がないのだが、それをあえてさせまた本人もその通りに切腹している。

なぜ切腹させたか?いやなぜ逆鱗に触れたか?それは豊臣秀吉は派手好きだった。黄金の茶室。黄金の衣装。百姓の子供がのし上がった成り上がったと言われるのがいやだ。ということでとにかく派手にした。その派手さが権力の象徴であり、周りの大名もその力のすごさに魅了され従った。無言の圧力といってよかったのであろう。

しかし利休と1対1のお茶の席では狭い部屋で訳が分からん茶碗で自分よりはるかに格下の者の入れた好きでもないお茶を入れられたとき、深々とお辞儀をし、飲み終えた後にもまたそれなりに感謝の言葉を述べることが段々と苦痛になってきた。

さらに元をただせば織田信長の家臣時代、信長が利休にお茶を入れさせたとき、信長が「このサルにも入れてやってくれ」と言った。利休は「はて?サルにお茶の味が分かりましょうか?」と言ったらしいのだが、そのことをずっと忘れずに引っ張ってきたというのである

人間の執念・恨み・劣等感と言うものは人までも殺すかと、思わさせる出来事であった。 まさに平家物語の冒頭のごとくきらびやかなる桃山の時代=豊臣時代もその後まもなく1代限りで滅び、時代は徳川に移り変わっていくのであった。 人間はまず己の能力を知ることである。いつ知る力を持てるか?大体35歳位であろう。それまでは人間まだまだ子供。何もかも駄々こねる。自分が一番。かまってほしい。しかし周りをかまって面倒を見る力はない。籠の鳥の中でやたらに泣き騒ぐ九官鳥のようなのである。青春からの20年間は真に矛盾した時代なのである。それを40代以降の先輩は理解して上げる度量も必要なのである。

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第186回 民俗学とは何か

2017年08月20日

「民俗学」とは、民俗文化を内側から明らかにしようとする学問のことです。現代生活のなかに伝承される文化がいかに表現され,いかなる形で存在し,またどのように推移してきたかを,同国人的,同時代人的な感覚のなかで見きわめ,さらにそれぞれの理由を追及しようとするのが目的にあります。

19世紀後半ヨーロッパではイギリスを中心に成立し、その後スペイン、フランス、アメリカなどの国々に成立しました。主に「民族学」と区別するために「フォークロア」と呼ばれています。この「フォークロア」という言葉は、本来イギリスの民俗学の称で、19世紀のなかば1846年にウィリアム・ジョン・タムズが初めて使い出したことばである。従来、民間故事とよんでいたもの、すなわち俗信とか、なぞなぞ、伝説、昔話その他の口承文芸などを総称する親しみやすいことばとして案出されたものとされています。また、ドイツの民俗学は「フォルクスクンデ」とよばれ、語義はフォークロアと同じですがその翻訳ではなく、民俗資料を取り扱いながらその最終の目標を明確に説くものが多いです。またこれに反し、ドイツ民族精神を明らかにすることより、原始的非個人主義的な共同体の認識をもってフォルクスクンデの任務と説くという主張もあれば、一民族の特性を探究するにとどまらず、民族的観念の形成、伝播(でんぱ)、推移にあたって働く精神的勢力を追究しようとするものなど多彩であります。

「民俗学」とは簡単に言ってしまえば、それぞれの地域に伝わる伝承や言い伝え、文化や人々の生活習慣を研究する学問なのです。その中にはオカルトや妖怪、ハレとケ等、私たちの日常に根付いている文化も含まれているのです。「民族学」や「文化人類学」と比較されることがよくありますが、「民族学」は「エスノロジー」と呼ばれ、人類の文化を研究する学問をさし、広い意味における人類学の一部門であるとされています。人類学においては国によって学問的伝統が異なり、またいろいろな学派が存在し、さらに歴史的な変遷もあるので、民族学が具体的には何を意味しているかは一定していません。このように「民俗学」と「民族学」は研究する対象から違うのですが、「民俗学」は「民族学」が基盤にあることが前提です。その前提の上で、「日本の民俗学」とはどのような学問なのか探っていく必要があるのです。

岡田

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第185回 売上が減って悩むのか、忙しく悩むのか

2017年08月16日

売上が悪くて対応策を立てている会社が多い。はたまた○○○運輸の様に忙しすぎて悩む会社もある。どちらにしても経営者が汗かいて労働していないと今の会社の実態が分からない。かといって作業員と同じ仕事ばかりしていると経営者の仕事である「明日を読み取る」ことができない。経営者は明日を読み取りながら現実を把握しながら汗かいて運営しなければならない。

売上が少なくなってきたら途端に「売上上げろ」の号令がかかる。そしてなりふり構わず今まで以外のお客様へ営業訪問する。それでも間に合わない場合は今まで売ったことのない商品をどっかからか引っ張ってきて売りにかける。当然後発なので新規訪問にしても新商材の販売にしても今お買い上げいただいている値段の下をくぐらなければならない。すると売り上げは回復する。いやそれ以上に増える。しかし今度は忙しいわりに利益が残らなくなってくる。それが○○○運輸のぶち当たった壁である。無理やり減った売り上げを取り戻そうとするから、歪が発生しその歪みがあっという間に膨らんでコントロールできなくなる。

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第184回 人間ならだれもがこの壁にぶち当たる

2017年08月16日

人間ならだれもがこの壁にぶち当たる。今まで考えもしなかったことに真剣に向き合う。過去はどうだったか。それに比べて今はどうか。周りはどうか。父親や母親はどうしていたか。色々考えてみる。答えがなかなか見つからない。あ、この方法で行こう!とやってみる。なんか変わった気がするがそれが本当の姿なのかわからない。それは人生のまだ自分自身が見知らぬ目標に対するストレス、コンプレックス、疲労、倦怠 とにかく数限りない物 もやっとしたもの 色々とおしかぶっている。それはいつまでたってもなくならない。一つなくなったと思えばまたやってくる。

30代の壁 体力の低下 家庭を持った責任 子育て

40代の壁 知力の衰え 両親の健康問題 子供の進路 借金

50代の壁 眼力・聴力の衰え 社会人としての必要性 孤独感

60台の壁 定年後の身の置き方 生活費 借金・保険金・相続

どんどんどんどんどん これでもか!というぐらいに生きている間は、次から次へと壁が立ちふさがる。あなただけではない。誰にでもである。大小は関係ない。年齢も性別も関係ないのである。あるとき突然降りかかるのである。それが人生である。

体力の衰えは知力でカバー 仕事にどっぷりつかる。責任が増えれば当然であるが、何とも言えぬもやもやも増える。

合い方も子供もましてや親兄弟も気を使ってくれるが解決はしてくれない。結局自分が立ち向かうしかないのである。いつまでも輝きを失わないでいられる人はすごいと思いますよ。とくに50歳超えてまだ新しいことに頑張る人は素晴らしい。

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