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第318回 彼を知り己を知れば百戦殆からず

2019年08月25日

敵の実力や現状をしっかりと把握し、自分自身のことをよくわきまえて戦えば、なんど戦っても、勝つことができるものです。なにか問題を解決するときも、その内容を吟味し、自分の力量を認識したうえで対処すれば、うまくいくものです。

情報化時代といわれて久しいものがあり、「敵を知る」ための情報を入手するのにはたいへん便利な時代となりました。入手したい資料はネットやデーターベースのなかに組み込まれていることが多く、いながらにして一通りのものは集められます。

注意しなければならないのは、情報が多様化して、本質がつかめないこと、それにマスコミなどによって報道されたものが真実なものとして一人歩きしているということです。「彼を知る」ということは、表面に現れた「通り一遍の情報」でなく、「高度な情報」をいかに多く集めるかということです。

しかし、いくら「精度の高い、価値ある情報」を収集することができても「己を知る」ということができていない場合には、「戦うごとに必ず敗る」という結果に陥りやすいといえます。

「己を知る」ということは、容易なようにみえて、なかなか難しいというのが、筆者の実感です。

自己認識の判断の誤りは、過小評価と過大評価の2つの場合があり、両者とも戦う場合のマイナス要素となります。
過小評価の場合は、積極的に、打って出るべき事態に対し慎重になりすぎて、決定や施策がノビノビになってしまうものです。
自己の実力、自社の実力を過大評価するのはもちろん危険です。
権力者や、実力者といわれる人物が陥る最も大きな民は、「己を知る」ことの不足からくるものです。

本田

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第317回 百戦百勝は善の善なる者に非ず

2019年08月17日

軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。旅を全うするを上となし、旅を破るはこれに次ぐ。卒を全うするを上となし、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上となし、伍を破るはこれに次ぐ。

このゆえに百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

「百戦百勝は善の善なる者に非ず」は、孫子の兵法で出てくる一節です。

この一節を現代語で訳してみると

軍団を降伏させるのが上策であって、軍団を打ち破るのは次善である。旅団を降伏させるのが上策であって、旅団を打ち破るのは次善である。大隊を降伏させるのが上策であって、大隊を打ち破るのは次善である。小隊を降伏させるのが上策であって、小隊を打ち破るのは次善である。

だから、百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である。

これが現代語訳になります。

孫子は兵法書ですが、戦って勝つ方法ではなく、まずは戦わずして勝つべきだと説いています。戦えば、たとえ勝ったとしても損害を受けます。連戦連勝したとしても、勝つ度に損害を積み重ねていけば、いずれは疲弊していくわけです。

百戦百勝したとしても、百一戦目で滅亡してしまっては意味がありません。

「真に勝つことは、自らの力を増すことであって、戦いに勝つことではない」ということを「百戦百勝は善の善なる者に非ず」の一節は教えてくれています。

新美

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第316回 約束は遅く、履行は早く

2019年08月11日

約束は、必ず守らなければなりません。なぜなら、社会は約束で成立しているからです。
憲法も法律も約束の集まりです。契約も社会活動も約束の集まりです。
社会とは、約束そのものと言えるでしょう。
守れなければ、信用を一気に失い、社会活動に大きな支障をきたします。たくさんの人間関係を破壊してしまいます。なぜなら、社会活動の根幹は、約束だからです。
約束をきちんと守れば、信用はどんどん高まります。
では、約束を守るためには、どうすればいいのでしょうか。
1. 軽々しく約束をしない
2. 約束をしたからには、迅速に履行する
この二つが大切です。
軽々しく約束をすると、あとで履行できないと分かったときには時すでに遅く、信用を大きく失います。
また、あまりに約束が増えてくると履行が間に合わず、さらには、うっかり履行し忘れるという危険も生じてきます。
約束をしたなら、迅速に履行しましょう。約束がいろいろと増えてくると、履行が時間的に難しくなってきます。
現代においては、時間はお金そのものです。約束の履行は、早ければ早いほどいいのです。
約束の履行が早ければ早いほど、相手は喜び、信用は大きく高まります。
また、守れない約束は、はじめからしないように注意しましょう。

寺澤

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第315回 お金の話

2019年08月04日

お金の話をすると、汚いとかいやらしいとか言われたり、思われたりすると思って控えめにしていたりします。
でも本当は「好き」で「一緒にいたい」はずです。
お金は悪いことをしないと稼げないというイメージがあったり、たくさんお金を稼ぐと警察に捕まるみたいなイメージが先行していているからだと思います。
でもそれはあくまでイメージです。
本質的には誰もが、お金を「好き」で「一緒にいたい」はずです。
「好き」で「一緒にいたい」のならば、それは「家族」と同じ価値があります。
家族のことを「汚い」とか「いやらしい」などと言い、遠ざけたりすることはないと思います。

櫃田

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第314回 他人に期待すること

2019年07月21日

皆さんは、人に期待することや、期待させることって、どう思いますか?

人に期待する気持ちを持ってしまうと、自分がコントロールできない物事に、感情をベットすることになります。人に期待した場合、自分の思っているような行動を他人がとってくれなければ、勝手に傷つくことになるわけですよね。それを避けたいなあ、と思うわけです。この世でコントロールできることは自分の意志と行動だけ、他人の意志や行動を自分の思惑通りにコントロールすることは、絶対に不可能だと考えています。

なので、基本的に人に期待することをしない。人に期待しないという生き方の効能は、何と言っても「他人に振り回されずに、いつでも機嫌よく生きていられる」ということです。誰かや何かに期待する気持ちを捨てると、心が乱れる要素が大幅に減ります。誰かが自分の思惑通りのことをしなくても「まあ、そういうこともあるよね」と受け流すことができるし、何か期待はずれのことが起こったとしても、「そうか、仕方がないなあ」なんて思って、それで仕舞いにすることもできます。

自分の意志や行動さえ、ブレずにコントロールできていれば、後のことはもう、どうなろうが、自然の流れに身をまかせるだけです。極端な話ですが、たとえ明日、この世が終わってしまうとしても、それは私自身にコントロールできないことだから、仕方がありません。誰かがいなくなってしまったり、うまくいかない出来事が起こったり、思いもよらぬ不幸があったとしても、それはそれで、仕方がない。

相手に何も期待しない、期待させない。それによって、たしかに、心を乱されることは減る。でも、同時に、心はどんどん凍っていってしまうのかもしれません。

誰かにがむしゃらに期待して、心を通わせようと踏ん張って、それでもうまくいかなくて、涙を流しながら、心を痛めながら、相手のことを想う。そんな強い関わりを求める願いを、私たちは捨ててしまったのではないか。

なんだか、そんな気がしてならないんです。

本田

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第313回 算多きは勝ち、算少なきは勝たず

2019年07月16日

いまだ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。いまだ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。

算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるをいわんや算なきにおいてをや。われこれをもってこれを観るに、勝負見わる。

「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」の現代語訳

そもそもまだ戦わないうちから作戦会議で既に勝つと確信するのは、五事・七計を基に得られた勝利の条件が、相手よりも多いからである。まだ戦っていない段階で勝つ見込みがないのは、勝利の条件が相手よりも少ないからである。

勝利の条件が多い方は実戦でも勝利するし、勝利の条件が少ない方は、実戦でも敗北する。ましてや勝算が一つもないというのは、何をかいわんやである。私はこうした基準によって戦いの行方を観察しているので、勝敗は目に見えるのである。

これが現代語訳になります。

「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」の解説

五事(戦力を検討する5つの基本事項)と七計(戦いの勝敗を決める7つの基準)により、孫子は戦う前の段階で勝敗を予測できました。

彼我の戦力を比較し、自軍が優っているところが多ければ勝ち、劣っていれば敗れるという論理的な考えを二千数百年前に確立していたところに孫子の偉大さがありますが、その場の思いつきではなく、冷静に自らと相手の戦力を分析した後に勝てる算段をして戦いを挑むということは、現代のビジネスでも重要です。

 

新美

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第312回 寄らば大樹の陰

2019年07月07日

大きな木があれば、その陰でひっそりと暮らせば、下に居る小動物など弱い生き物は大樹に守られ、生き延びることができます。

台風などのときでも、雨や風から大樹が守ってくれるので、その陰に寄っている弱い生き物達は難を逃れることができます。

このように、自然界でも、弱いものは強いものにうまく寄り添い、守ってもらっています。

私達もそうです。弱い内は、強いものに守ってもらうことができます。

人間でいうと、組織に入り、守ってもらうということが言えます。

しかし、自分が強くて力があるなら、大樹の陰でじっとしていてはいけません。

自分自身が大樹になれるはずです。

そして、自分という大樹に、たくさんの人達が集まってくるはずです。

いずれは大樹になるけれど、今は弱い存在だという人もいるはずです。

そんな人は、弱いうち、力の無いうちは、強い組織や人の陰で生きていく方がいいでしょう。

そこで、コツコツと大樹になる力を蓄えていく必要があります。

最後には、自分自身が大樹となるべく、その場所を飛び出すというのがいいでしょう。

あなたが弱くて力のない存在なら、 大組織や、力のある人の後ろで生きていきましょう。

あなたが強くて力のある存在なら、大樹となるべく、大きく育っていきましょう。

寺澤

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第311回 親としての責任

2019年06月30日

わたしの娘は今日8歳になりました。

誕生日とはこどもにとってはプレゼントをもらえたり、ケーキを食べたり、お祝いしてもらえる日だと思っているようですが、親にとってはこどもが生まれた時のこと、初めて抱いて腕の中にいる小さい赤ちゃんを見て、今まで味わったことがない幸福感を感じたことを思い出す日です。

普段は毎日日常の忙しさにバタバタ追われて、生まれた時のことを思い出すことはありません。誕生日は親にとっても初心に返ることができる大切な日なのです。この日から親として子育てという大きな仕事がスタートしたのです。

 

このごろ虐待や育児ネグレグトのニュースが多くありますが、見るたびに胸が締め付けられるような苦しい気持ちになります。

事件になるといつも行政や警察の責任にして責めています。それもたしかに一つかもしれませんが、ほかに助けてあげる方法、止められる方法はなかったんだろうかと考えさせられます。

虐待をしてしまう親は自分も虐待された経験があることが多いと聞きました。

それぞれ事情があるかもしれませんが親になったからにはどんなに大変でも責任を放棄してはいけないと思います。

親としての義務、責任はまずは衣食住の心配がないよう健康に育てることです。

それから他人に迷惑のかからないよう、本人が生きていくうえで困ることがないよう教育、しつけをすることです。

親の背を見て子は育つといいますが、こどもは一番近い人からいろんなことを吸収します。親がやっていることをいいことも悪いこともそれが当たり前だと思い、同じことをやるのです。

完璧な親になれなくても、こどもに見られているということを意識して、一緒に成長していきたいと思います。

櫃田

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第310回 人の振り見て我が振り直せ

2019年06月23日

他人のやっている動作や態度で好ましくないと感じたら、その相手をとがめる前に、自分は他人に対して同じようなことをしていないか、他人の行動を自分のこととして省みなければならない。

 「振り」というのは「振る」という動詞から、動作をすることの意味になり、さらに「振りを付ける」のように「演技のしぐさを指導する」と、転化しています。要するに、ここでの意味は「身振り、しぐさ、ビへイビアー」ということになります。

 中国の格言のなかにある「他山の岩、もって玉を攻むべし」つまり、「他の山の粗悪な石は、それそのもので飾ることはできないが、自分の玉を磨くのに使える」とほとんど同じ意味です。

 他人の欠点や、行動の誤りなどは、とかく目につきやすく、気になりやすいものですから、それを指摘して改めるように求めたくなります。

 しかし、自分の欠点や、やり方の誤りについては気がつかず、それを修正することは難しいようです。そこで、他人のことを自分の鏡として参考とし、他人をとがめるまえに、自分を磨くことに利用しようという教えです。

  人の生き方のなかには、自分に厳しい人と他人に厳しくて自分には甘い判断をしている人の2つに分かれるようです。

 夫婦でも、また仲間同士でも、その関係を見ていると、この2種類のパターンが見られます。

 うまくいっている夫婦関係は、相互に助け合うことはもちろんですが、それ以外に、「相方の欠点をとがめ合うことをしない」ということがあります。

  もともと人間は、自分の性格を直したり悪いくせを矯正することは難しいものです。忠告をすなおに聞き入れることも、なかなかスンナリとはいかないようです。

 夫婦の共同生活のなかで、嫌なことが鼻について気になりだしたからといって、相互に指摘し合っていたのではうまくいかなくなるのは当然でしょう。許し合って、自分を変えていくことによって、もつれた夫婦関係が改善されるのはよく見られるケースです。

 このことは、全社生活の同僚との関係でも、また上司と部下との間柄についても全く同じことが言えると思います。

  一緒に共同生活をして、協同の仕事をしているのであるから、なんでも気付いたことをドンドン注意したらよいのではないかという考えを持っている人も少なくありません。

 部下の指導について、厳しく注意を与え、厳しく指導していれば、かならず部下はついてくると錯覚している上司がいます。しかし、現実には、従順に心服しているのではないことも少なくありません。

本田

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第309回 兵は詭道なり

2019年06月13日

戦いとは騙し合いである。できるのにできないふりをし、必要でも必要でないふりをし、近くにいても遠くにいるように見せかけ、有利と思わせて敵を誘い出し、混乱していれば奪い取り、充実していれば守りを固め、強ければ戦いを避け、怒り狂っているときはかき乱し、謙虚であれば低姿勢に出て驕りたかぶらせ、休息が十分であれば疲労させ、結束していれば分裂させる。そうして敵の手薄な部分を攻め、敵の不意を突く。

という意味になります。

こちらの内情を外部に掴ませず、時には小さく、時には大きく見せることは現代のビジネスの世界でも重要です。中小企業の場合、すべての面で競合相手に勝つことは難しいわけですから、競合相手を油断させ、相手の弱点を突くことに活路を見い出すべきだと言えるでしょう。

新美

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