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第123回 過激になりやすいネット口論

2016年09月19日

最近はネットやTwitterやFacebookなどのSNSのやり取りによってストレスを抱えている人が増えてきているそうです。このようなネットやSNSでの口論がヒートアップしやすい理由は3つあります。

1つ目の理由は相手が見えないことがあります。相手が見えない場合と見えている場合での違いについてアメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムによる記憶テストで間違うたびに罰として電気ショックを与える実験を例に挙げてみます。この実験ではA~Dの4パターンで電気ショックを与える実験を行いました。

A:電気ショックを与える相手が目の前にいなくて声も聞こえない

B:電気ショックを与える相手が目の前にいないが声だけが聞こえる

C:電気ショックを与える相手が1メートルの距離にいる

D:電気ショックを与える相手が同じ部屋にいて相手に触れる必要がある

A~Dの4パターンを見て被験者はどれくらいの電圧まで与えたと思いますか。

結果の平均はAが400V、Bが370V、Cが310V、Dが250Vという結果となり、相手の存在が分からなくなるほど残酷になる結果となりました。つまり相手の顔が見えないネットでは相手にどれだけダメージを与えているのかが分からないため過激になっていくということです

2つ目の理由は悪意が伝染することにあります。オランダのアムステルダム大学のスカイラー・ホークが行った実験において、片方が不快な表情で接していると相手も不快な表情になり、逆に片方が笑顔で接すると相手も笑顔になっていくということが判明したそうです。つまり、感情は連鎖するものであるということです。相手が不快な表情をすれば自分も不快な気分になりそれが顔に出てしまい、それを見た相手もさらに不快な気分になるというように無限にヒートアップしてしまうということです。ネットでも同じでネガティブな言葉一つで悪意が伝染し、エンドレスな戦いになってしまうからです。

3つ目の理由はカルフォルニア大学のアルバート・メラビアンによって判明した法則であるメラビアンの法則です。メラビアンの法則とは人間と人間のコミュニケーションにおける重要視される比率を表したものです。比率としては体や表情が55%、言葉や声が38%、言葉の内容が7%となっています。もちろんこの法則は言葉の内容がどうでもいいという結論の法則ではなく、表情や言葉などが矛盾する場合に何が重要視されるかという法則です。

例えば、対面や電話において「バカじゃない」というような多少トゲのある発言をしても表情や声に悪意がないことが分かればソフトに受け入れることができます。しかし、ネットなどでは文字でしか情報は伝わらないので文字のみで全てを判断することになります。つまりメラビアンの法則でいえば7%の割合のもので100%を判断する必要があるということになり、誤解が生まれやすくなります。さらに短文になるSNSなどでは判断する文字自体も少なくなるので一部の文字だけで相手の全部を判断することになり、喧嘩が悪化しやすくなるからです。

つまり、ネットやSNSで口論がヒートアップしやすいのは相手と向き合って話すときには内容だけではなく表情や声などによって判断することができるため、相手の言いたいことを判断することができるのに対し、ネットやSNSでは内容だけで判断する必要があるので誤った解釈をしたり、一部の言葉だけを取り上げてしまうためということになります。相手に自分の意見を100%伝えたいと思うならたまにはネットやSNSではなく電話や直接会って話すことが大切になるということです。

福田

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第122回 40歳で中性脂肪・コレステロール溜り、50歳で尿酸値溜る

2016年09月15日

みなさんもお年寄りが散歩している風景を見たことあると思いますが、あれは医者が50歳ぐらいになると「歩きなさい」と言うためです。50歳ぐらいになると社会からだんだんと必要とされなくなってくる。仕事内容もどちらかと言うと楽になってくる。

しかし食べたり飲んだりすることは40代と同じ調子でやってしまう。当然エネルギーとして消化しきれなくなってくるので、体に溜ってくるということになる。と、これらの物は当然老人病の原因であるから、先生が対策として「歩きなさい」「野菜食べなさい」「肉・海老やめなさい」「ビールやめなさい」と言う。

だから仕方なしに初めは歩く。大体1日30分、するとなんか健康的な生活感を感じる。しかしビールはダメ。そこで焼酎かウイスキーを飲む。そして老廃棄物を出すため水2?飲む。

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第121回 自己の向上は経験だけではいけない

2016年09月15日

適性検査の時でも言ったと思いますが、人間は大体3種類いる。

1.自ら努力しないし、言われたこともやれないし、またやらない。

2.努力しようという気はある。しかし学ぶ範囲が言われたことのみを努力する。また努力も学んだことの50%から75%ぐらいしか成果として現れない。主に経験のみで生きていくタイプ。

3.学ぶということはもちろん経験からも来るが、それと自ら興味があることまた、この先を考えたらこれとこれとこれを学んでおかねばならないが今の自分のレベルから言って、これを学んでおかねばならない。つまり与えられて学ぶのではなく必要に迫られて学んでいくタイプ。

さらにこのタイプは経験や学んだ知識を100%行動に表すことができる。そして自ら失敗したと感ずいた時には、また勉強し直し、何とかつじつまを合わせて、自ら成長していくタイプ。

自分はどのタイプかこれで判断して、それなりに生きていく道を考えるべきである。1の人が3の努力をしても実らない。2の人は3にはなれないが、マネして近づくことはできる。

根本的な人間の真の部分は生まれながらに決まっている。そしてそれがさらに形作られるのは小学生の時であり、成人では外に現れると言っても過言ではない。

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第120回 馬鹿ではいけないが、賢すぎるのもあかん

2016年09月15日

仕事をするにはもちろん馬鹿ではできない。とくに職位が上に行けば行くほど頭脳を求められる。とくに算数ができない人間はあかん。

ところが現場に算数ばかり要求すると今度は窮屈になる。それよりもちょっと抜けていた方が良い。いや見た目に抜けているように見えるのだが、ご本人は作業もよくできる、また指導もできる、困った時に頼りになる、今後仕事はいそがしくなるとか暇になると言ったことが解っている。それなりにコミュニケーションもできる。そして前向きに色々と勉強している。しかしソクラテスのようにあたりかまわず問答することは無い。

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第119回 ライバルが70点なら我々も60点から75点でよい

2016年09月15日

「社長それじゃあ勝てませんよ」と言われそうだが、お互い生き物である。調子が良いときもあれば悪いときもある。その時その時をいかに前向きに過ごすかが大切なのである。結果良い方向に行っていれば良しとし、あまり欲張らないことが良い。無理してライバルを引き離そうとするとその次の階段にはまた強力なライバルがいる。そうすればコテンパンにやられる。これは世の理屈である。なぜなら競争とは常に弱いものが負けるからである。

まずは基礎を固める。そしてじわじわ頑張る。するとライバルが自滅していく。そうすればライバルのお客様は自分の方にやってくる。

1つのライバルが消え去るとまた次のライバルが現れる。それは突然わいてくるのではなく、もともといたのであるが、こちらも相手も問題視していなかっただけである。それが問題視する対象にお互いになったのである。この時も慌てずより良き目標を持ち、馬鹿みたいに成長しようと思ってはいけない。確実に1年を過ごす。後ろを振り返らず、前進。

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第118回 最大の武器はスピードである

2016年09月15日

ランチ時500円の定食を食べるか、700円の定食を食べるか?

大体ランチは500円位で済ませたい。だから当然安い方に行く。しかしその安いお店はいつ行っても並んでいて食べ終えて会社に戻って来たらベルなっていたということになってしまいそうである。700円の定食屋はAとBの2種類しかないが、座って3分もすると出てくる。しかもうまくて、ごはんお替りできる。

さてどちらに行くか?毎日のことだから500円で済ませたいのだが、限られた時間枠とごはんがお変わりできることと、味が良いこと、そして何よりも早く食べれるということを比較すると、700円の方に行ってしまう。

もちろん500円の定食屋もお客様が多いのだが、どう見ても年寄でちょっとよれよれのシャツを着た人が多い。

かたや700円の定食屋は若者が多く、また女性も見られる。さらに700円の方は毎日行くとテーブルをキープしておいてくれる。そしてあらかじめ携帯に本日の定食2種類がメールされ折り返し選択しておくと、座った瞬間に水と同時に食事が提供されるというシステムになって行く。

さてどちらのお店に行くか?一旦700円の味を占めるとそりゃお店側も離さないサービスしてくれるし、自分も時間的、味的、サービス的安心感がある。金で判断するかトータルのサービス=安心感で判断するか、それはその人々であろう。

新幹線でも自由席もあれば指定席もあればグリーン車もある。それぞれである。始発であれば自由席でもいいが、荷物有って、子連れの自由席はつらいだろうな。新幹線はやはりスピード。もちろん飛行機の方が早いが、飛行場まで行く手間と国内線搭乗まで1時間待たされる、飛行場の駐車場は高いなどと言ったことを考えれば、新幹線の方が断然早い。

   今の世の中スピード勝負である。言われたらすぐ行動するべし!

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第117回 「蜘蛛の糸作戦」と言うものがある

2016年09月15日

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説がある。罪人が地獄で天を見上げると、1本の蜘蛛の糸が垂れ下がっているのに気が付いた。罪人カンダタはこれを登っていけば地獄から出られると思い、必死に上を向いて上った。と、あるとき下を見ると、下から次々と同じように上ってくる罪人がいるではないか!そこでカンダタは「お~い、上るな!」と言った。その瞬間頭上の糸がプッツンと切れて、カンダタはまた元の地獄に真っ逆さまに落ちていった。という物語である。

つまり、前向きに=上を目指して生きている内は希望がある。しかし下を向いた時、つまり昔を懐かしんだり、他人をねたんだりしたときに人間は堕落し始め、夢希望もなくなってしまう。と言うこととも取れる。

どうしても人間他人が気になる。そして過去を懐かしむ。「あいつがいかん、あの時は良かった」と。そんな時はこの蜘蛛の糸を思い起こし、「くそーいかんいかん、ここで俺は立ち止まってはいかんのだ。さらに前進しなければ!」と、明日のために今日生きるようにしましょう。それが藤榮の組織員の基本にある企業文化であります。

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第116回 スポーツを「楽しむ」こと

2016年09月11日

生涯スポーツの基盤には、やはり「スポーツ」の概念があるのですが、ある事典によると、スポーツの概念とは「日常語で非常に広い意味を持っているので、これを厳密に定義することはできない」と示されています。さらに、「この概念の理解は歴史のなかで変化してきているので、それをあらゆる時代に対応するように固定することはできない」ともあります。スポーツは時代によって変化してきたということですね。

大昔から人は衣食住を維持するための日常生活のなかで、自然に体を動かしてきました。労働や戦いの場(戦争)でも身体を意図的に駆使していました。こうした生き抜くために必要な身体活動のなかから、さらに祈り・感謝・占いなどの心情を表現する身体運動を展開していくようになりました。その運動が次第に「身体運動をしたいからする」という欲求に変わり、実用から離れた「遊び」となり、やがてオリンピックのように「競技」としてスポーツを競うことに変化していきました。

スポーツは最初は実用から離れた「遊び」としてルールに基づいて活動していくことが確立されました。競技の形態をとり始めたのは19世紀以降ですが、競技にともなう勝利や賞賛は、スポーツに取り組ませることに一層の意欲をかき立てましたが、同時にそれ自体に楽しみを見い出すことをしばしば忘れさせました。これは、「スポーツ自体を楽しむ」という目的に矛盾していると言えます。

しかし、現在のスポーツといえば勝敗を競い合うことに関しては昔と違わないのですが、そこに「楽しむ」ということが増えてきたように思います。オリンピックの選手のインタビューを聞いていても「自分が楽しむことが一番」、「楽しむことができたから満足」という言葉がよく出てきます。そこには「勝ちたい」という気持ちや、「悔しい」という気持ちも入り混じっていると思われます。勝負事には常にそのような気持ちが生まれるものです。しかし、オリンピックの選手ではなくても学校の授業や、社会人で取り組むスポーツにも「競争」というものは存在します。スポーツを楽しむということは、「競争」という状況自体も楽しんで取り組むということではないかと思います。だから選手たちには「楽しむ」という言葉が多いのかもしれません。

社会人になってスポーツを楽しむのは難しいことかもしれません。特に時間がありません。個人でやるスポーツは、自分の好きな時間にできますが、チームプレイのスポーツは一人ではできません。チームメイトが揃わないと成立しないものです。しかし個人でやるスポーツでも、競い合える選手がいるかどうかでその活動意義は変わってくると思います。

このように、スポーツとは相手がいることによって成立することもあります。生涯スポーツはこのようなスポーツに取り組む人を支援し、また気軽にスポーツを始められる場を提供する必要があるのです。

岡田

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第115回 人生年取ってくると生活が惰性になる

2016年09月05日

毎日の惰性の中にはアルコール・テレビ・タバコ・パチンコなどがある。それが必要ならば惰性ではないのだが、ちょっと一服ということでタバコ!いや~今日もよく働いた。よし!プシュット行くか!別段やることないからというか何も考えずにテレビ と人間なる。私もそうである。

しかしアルコールでも「今日はやめとくか」と1日やめとく。すると翌日は不思議なことに冷蔵庫に足が向かない。そこでよし今日もやめとけ。こうなると翌日にはせっかく昨日も止めたんだから今日もよすか!と考える。

と自然にしばらく辞めることができる。飲んでいた時と辞めた時と人生何んか変わったのかというと、さほどでもない。ただ飲んでいると気分がいい。何かその日の疲れが無くなるような気がするのだがそれも最初の一杯ぐらいであろう。後の2本3本は惰性になって来る。そしていずれアルコール体になっていく。腹が出、ちょっと動くと息が切れ、疲れやすくなり、汗かきになる。食事もアルコールが中心となり、食物が減っていく。

次の段階では食事のデザートが薬となり、土日の日課に医者通いが始まる。薬も常時飲み始めると体も自然に慣れてきて効き目が薄くなってくる。そしてまた医者に「こんな数値ではいけません。もっと健康になるために毎日歩きなさい!野菜食べなさい!肉・エビなどは控えなさい。ビールだめです。薬の量を増やします」となってくる。そして月々、肉体維持のための生活維持費がアルコールと食物から薬代に移っていく。薬で人間体を維持していくのである。これが人生である。

医者が言うのもわかる。医者の仕事は病気の進行を食いとどめることである。ちょっと悪いとこを見つけると「はい検査。はい薬。はい節制」となる。それは間違っていないのだが、人間年取れば若い時のような健康体でいる人などいない。必ず死に近づいているのである。

若い時との違いは人生の楽と言うか「甘い部分」を知ってしまったのでもはやそこから脱出できないのである。いまさらテレビやめて1時間も散歩できないのである。料理見たらまず箸取る前に「プシュット」となるのである。

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第114回 営業とは?

2016年09月05日

物売り人として頭にあるのは「売上=お買い上げ」である。今日A店へ顔出した。名刺配って愛想笑いし、カタログ開いて商品説明した。クロージングに「欲張りは言いませんので月1本ガス台で結構ですからお買い上げお願いします」といつもの調子で帰ってきた。

2日したらそのお客さんからZ-60GB 1本ご注文のFAXが届いた。やったあのひと買ってくれたんだ。

そこでレベルの低い奴はこう考える「これで売上10,000円上がった」」「あと300万で今月目標達成だ」と。

その通りなんだけど、私はこう考えたい。

我々の物売りは商品を売りことであるが、それはあくまでも商品を買ってもらうことが手段であり、実は自分または藤榮のファンを一人でも多くの方になってもらうこと」だと。

物売りと考えるとかしこまったり、営業笑いも出る。しかし自分のファンになってもらおうと思うと自然に自分というものを出す。素の自分を!

目上の人には丁寧にまた尊敬の念を持ったりいたわったり、また同年齢なら売り付けることより世間話して仲良くなる。物を売りつけるから、物を買おうとするからお互い壁を作る。売り上げさえ還さなければただの人間なのである。コミュニケーションなのである。つまり自分が会話が好きかだけの話である。物売りは人間かわいがっていただかないと。

8月での配送の時、お客様のところでトイレ借りようと店の中に入り込んで行った。

1人目に会ったお客さんに「お世話になります」と言ったら、お客様から「ご苦労様」と言われた。

2人目のお客様に同様に「お世話になります」と言ったら、「いらっしゃいませ」と言われた。別段こちらがかしこまったつもりもないのだが、しっかりともてなしていただいた。

こう言った時には物売りはすかさず名刺出して「藤榮です。いつもお世話になります。ちょっとトイレ貸してください」と言えばいい。お客様のところでトイレ借りるのも仕事なのである。別段恥ずかしいこともないし、失礼なことでもない。お客様のところでも、わが社のごとくふるまえるようになるまで自分を持っていくべきである。堂々とする。物売りだと考えるとかしこまったり、媚びを売ってしまう。自分をさらけ出し、気に入ってくれたら商売=物売りに入る。気に入っていただけないなら気に入ってもらえるように、どうしたらいいか考える。

時に3度ほど会話すれば何とか気に入ってくださる。それでもあかんならしばらくその人はあきらめる。それでいいのである。

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過去の日記

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