ページの先頭へ

第33回 おのれを信じろ

2015年08月20日

自分の経験したことのない世界を眺めたり感じたりしてみると①「アーすごいな。しかし私には無理」と考える人と、
②「アーすごいな。私もあのメンバーの一員として活躍したいな」と大きく2つに考えがわかれる。
①の場合の方は今後も無理をしなくて人生を進めていけばよい。
しかし②を感じる人は思い切って踏み出すしかない。振り返る余裕もないし、結果を悩む必要もない。成功者がいるのだからそれと同じことをすればよい。ただそれだけのことなのである。 もちろんただそれだけということの中に「ノウハウ」があるし、一見簡単そうに説明される中に影の努力がある。
こういう世界の例に芸術の世界、職人の世界が代表にある。この世界は「一子相伝」といっても過言ではない。 見た目に感動し、ああなりたいと思わされるものは「芸術」ととらえた方が良いだろう。味わう、聞きほれる、見た目に目を奪われる、どうしてもほしくなる、こう言った物であろう。
会社運営もこんなものであろう。そう「芸術」なのである。だから見た目に素晴らしいと思わせられ、その一員になりたいと思うのである。
芸術の世界はまさにその磨き上げた匠の技を「まねる」ことしかない。この「まねる」ことがすなわち「学ぶ」ことなのである。そして先生はある優れた人物のみにおのれの秘伝を極秘で教えるのである。 この秘伝は一種の毒にもなる。それなりで無い者が身に着ければそれは逆に悪いものになってしまう。だから先生は生徒を選ぶ。
ということは生徒も然り、本当の素晴らしき芸術を身につけた先生を選べ。そしていったん選んだらどこまででも食らいつけ。泣き言言うな。振り返るな。今を考えるな、10年先を見つめろ。そして去り際を見つけろ。
とにかく言いたい。「おのれを信じろ」すれば実力はおのずと結果としてついてくる。人生は自分との我慢比べである。 そしてあなた以上に数十倍も我慢してくれているのは、いつの日か自分以上に乗り越えてくれる立派な姿をあなたに思い浮かべて、必死に口に泡を浮かべながら「怒鳴り、叱咤し、激励し、時に無視する」先生の方である。
それで人は一人前になり、去り際というものを考えることになる。
去り際というものは自分が師匠に立派に作りだされたように、芸術的弟子をこの世に作り出すことである。
この一連の流れで人生は終わり後世に名が残るのである。名は墓に刻む物ではない。

記事を共有するShare on Facebook
Facebook
Tweet about this on Twitter
Twitter
Share on LinkedIn
Linkedin

過去の日記

TEL
0562-93-5561

株式会社 藤榮

〒470-1144
愛知県豊明市阿野町稲葉74-46

TEL:
0562-93-5561
FAX:
0562-93-0211

kitchen@fuji-advance.co.jp