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2015年08月19日
「論語の中に「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」というのがある。
この学問の基礎は何か?現代では社会人または職場の基礎と言い換えてもいいのだが……。
就職したら会社は新人君に早く仕事を覚えてもらいたい。だからまず作業から覚えることになっていく。確かに作業は大切である。しかしこれは一見近道を歩いているように見えるのだが実は後々遠回りになっている。
論語で説明している30歳での基礎というものはズバリ人生観であろう。
ギリシャ・ローマ時代に「リベラル・アーツ」という概念があった。これをインターネットで調べると
ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本と見なされた自由七科のことで、具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学(円運動についての学問、現在の地理学にも近い)・音楽(ここでいう音楽は現代の定義の音楽とは異なる)の4科のこととでてくる。
さらに第1科目として数論(1次元)と計算術の研究である算術、第2科目として平面(2次元)に関する研究である幾何学とでてくる。そして哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。
つまり本題に戻るとすなわち人生観とは、ひとりひとりが、自身自身の人生や人間全般の人生について抱く諸観念のこととでてくるので、まずこの哲学を学ぶべきなのである。
この哲学を5年ほどかけて地道に学んでいけばウサギと亀のイソップ物語にあるように、いつかウサギつまり近道したものを追い越すことが必ずできる。またこの者は「砂上の楼閣」ではないので、スランプに落ちても自分自身でそれから抜け出すことができる。しかし近道をしたものは地図を失ったとたんに人生という道に迷い、どう進んでいいものかわからなくなってしまう。
だからくどい様だがまず人生観、つまり哲学から入り次に算数つまり儲けること、算式にある、「売り上げ、粗利、経常、生産性」などに今度は知識を全力で見につけていかねばならない。
この数字を身に着ける時に注意したいのは、数字を優先すると人間関係がぎくしゃくし、かえって良いと思われることが崩壊するということである。だからどうしても哲学=倫理感=道徳が必要になってくる。
「泥棒しても金儲けしろ」これでは数字は良くなるがあきまへん。「仲間をロボットと同じように働かせてピンハネしろ」これも同じ。世の中まず数字ではないのです。
次に大切なのは数字は帳面と電卓上のことではないということ。計算の上ではいくらでも理想を描くことができる。しかし数字こそ実際に積み上げたおのれのまたはその会社の能力の表れであるので、数字を考えるのならば実態をよく熟知しなければなりません。現実性のない数字ほど馬鹿げていることは無い。だから凡人に数字をいじらせてはいけない。そこで元に戻るが基礎的概念がしっかりしていてさらに基礎学力の見についている者のみが、「作戦」というものを考えてもよいのである。
作戦の考えられない司令官はリーダーとは言わない。ただのお山の大将である。何の裏付けもない者はいつか倒される。
こんな考えがある。ある者が若者に「どうしてお前は〇〇なんだ」「俺が言ったとおりにしろ」と言ってくる。それは社長が言っているわけではなので、その人が考えたことや経験からものを言っていると思うのだが、どうも言われた方は腑に落ちない。そこでその先輩に聞いてみた「先輩が言うことを行えば今度のボーナスが上がりますか」と。
何が言いたいかといえば命令・指示の見返りには必ず評価と手当が付いて回るということだ。一生懸命言われたことをやってそれが先輩の満足だけだったということならばやらない方がいい。
結論 つまりこの先輩には命令する権限がなかったということである。無い者はリードという振る舞いをしてはいけない。して良いものは哲学が理解し尚且つ次のステップに実績から導き出した数字を理解したものだけである。
地図を持たない先導車の後を付いて行くといつか迷路にはまるということである。