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第200回 マキャベリーの君主論より

2017年09月19日

「すべての国の重要な土台となるのは、よい法律としっかりした武力である。しっかりした軍隊を持たないところ、よし法律が生まれようがなく、しっかりした軍隊があってはじめて、よい法律がありうる」

 「君主は、戦いと軍事上の制度や訓練のこと以外に、いかなる目的も、いかなる関心事も持ってはいけないし、またほかの職務に励んでもいけない。」と言っている。

金曜日に触れた「富国強兵」は16世紀1500年代からすでに唱えられていたのである。これを会社として置き換えれば「社長はライバルに勝つことのみが仕事である。その為に躾と教育と訓練をしっかり取り組まなければならない」と言えるであろう。 最も良い教育となるものは、やりお客様からの「苦情」であろう。我々はお客様からお金をいただいて生活をしている。その中でお客様の指摘されるごもっともと思わされる部分は全社一丸となって取り組まなければならない。とくに納期が遅いとか質が悪いと言った内容は死活問題にかかわる。徹底して教育・訓練の対象である。出来ませんではご飯食べれませんと同じ意味になってしまう。

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第199回 国は富国強兵となり会社は富社強兵となる

2017年09月19日

我々学生時代に日本国は明治維新後新しい国づくりを「富国強兵」としたと習った。この「富国強兵」は今ではどの国も目指している方針である。特に北朝鮮・韓国・中国・ロシア・アメリカなどはこの物ズバリで、アメリカはトランプさんの出現により「アメリカファースト」という方向に動き出している。「富国強兵」とは国を富ませるには兵隊を強くせねばならないということである。つまり国力とは武力が強いことにつながってくる。

これを会社に当てはめると「富社強兵」となり、強い会社を作るためには強い社員=能力の高い社員作りに励めということになる。

とどのつまり強い会社づくりは良い商品と良い人材という結論となる。

社会の成り立ちはあくまでも買う側にある。売る側がお客さんに「この商品はとても良い物だからぜひ買ってください」と言っても、ライバルの方がさらに良い商品であるならばお客様はライバルに行く。ライバルに行かれてしまえばいずれ貧することになり、とどのつまり鈍することになる。

だからどの企業もしのぎを削って良い商品づくりに励み、つぎにその商品を販売する又は生産する社員の教育に励むのである。

教育の基本は「しつけ」にあり。だから基本的社会のルールを徹底的に頭にたたみこませるのである。

会社は一人で運営しているわけでは無い。仲間とともに運営しているのである。特に第42期からは「2人3脚」を基本とすると言ったと思う。

1人が遅れれば2人に迷惑がかかる。迷惑をかけないために、遅れないようにするしかない。間に合っていないならば間に合わせることを自分で段取りすべきである。それが社会人の最低限の役割である。

自分の時間のコントロールもできなくて社会人という顔をしてほしくない。そこにライバルは必ず付きこんでくる。隙あらば狙う。人間の体は弱いところから病になる。会社も弱い人材のいる箇所からだめになって行き、いずれ全員がやられる。だから40歳台の社員の役割は「冨社強兵」つまり「仲間に嫌われること」となるのである。

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第198回 情報を仕入れる目的は何

2017年09月19日

ニュースなどを携帯で見る人も多いて思うが、何のためにその時間を使うかがポイントである。ただ見るだけならまったく意味がない。「知識として必要です」と反論する人もいるかもしれないが、知識は活用してこそ意味がある。英語の勉強しても活用しなければそのうち忘れてしまって無駄になる。仕入れた知識はまず自分で試すべきである。「おいしい〇〇というラーメン屋が豊明で流行っている」と載っていたら、実際に行って食べてみるのである。それでうまければみんなに言えばよい。まずければ黙って違う知識を仕入れた方が良い。何のために知識を仕入れるのかよく考えなければ時間の無駄になる。時間はお金ですからね!

会話とはつまり「〇〇という話題が携帯にありました。だから〇〇と考えます」ではなく、「〇〇が携帯に載っていたので実際に体験してみたら、〇〇と感じました」である。現実論を言うべきである。

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第197回 ビジネスで成果を上げる人は

2017年09月19日

ビジネスや人生など、競争がつきまとう環境において成果があげられる人は、どのような資質を備えているのでしょう。それは「知性とやるき」と言われています。ここに大切なことは「競争に勝つ」ということです。

知性→頭が悪ければライバルに勝てない。 やる気→やる気がなければ、競争の途中で挫折してしまう

このやる気は「豊かな感情と「ゆるぎない志」に分けられる。

これらは哲学者カントの「知」知性 「情」感情 「意」意志 という

人の精神生活を支える3つの要素となるわけである。

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第196回 柳田国男について

2017年09月18日

日本の民俗学者に柳田国男という人物がいます。

柳田国男は、1875年現在の兵庫県に生まれました。「日本人とは何か」という答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、日本民俗学を開拓した人物です。「遠野物語」という本の名前を一度は耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。

しかし、柳田国男は初めから民俗学の研究をしていたわけではありません。1900年東京帝国大学法科大学政治科を卒業すると、農商務省農務局農政課に勤務。以後、全国の農村や山を歩くようになります。そして、1909年に東北を旅行した際、初めて遠野を訪れ、「遠野物語」を執筆しました。民俗学に興味を持った柳田国男は、その後官僚の職を辞任し、日本民俗学を確立していきます。こうして民俗学の先駆者となった柳田国男ですが、当時はその考え方に批判の声もありました。しかし、彼が今の日本の民俗学を確立したのは間違いありません。

「遠野物語」というタイトルは聞いたことはあるという方は多いと思いますが、それがどんな内容なのか読んだことがある人は少ないと思います。「遠野物語」は、柳田國男1910年に発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集です。 遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田国男が筆記、編纂する形で出版されました。内容は天狗河童座敷童子など妖怪にまつわるものから山人マヨヒガ神隠し臨死体験、あるいは祀られるとそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡ります。つまり、それぞれの地域に伝わる怪談や伝承、風習などをまとめた本になります。また、「遠野物語」の他に各地のカタツムリの呼び名の方言分布を比較検討することにより、言葉が近畿から地方へ伝播していったことを明らかにした「蝸牛考」という本も執筆しています。この中で提唱された理論が方言周圏論で、言葉は文化的中心地を中心として、まるで何重もの円を描くように周辺へと伝播し、中心地から遠く離れた地方ほど古い言葉が残っていることを示しています。これをきっかけに現地での調査が活発になり、現在ではこの方言周圏論は懐疑的なものとなっています。

柳田国男の死後、民俗学は地道なフィールドワークを重ねて現在まで広がってきました。これからの民俗学はもっと複雑化してくると思います。それは現代の社会が今後より複雑化していくからです。民俗学は歴史学と密接な関係にあります。今まではある特定の地域の文化を調査することが主流でしたが、現代の民俗学を研究するには、より広範囲でフィールドワークをしていく必要があります。そうしなければ、私たちの時代の民俗学は伝承していかないからです。民俗学は過去を掘り下げるだけではありません。現代の生活を研究することも民俗学の役割なのです。

岡田

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第195回 教育には「見切り発車」がつきものである⑥

2017年09月11日

この「家族動機」を達成するには最も必要なものはお父さんの気力である。そしてその心意気に協力しようとするお母さんの行動力も必要になる。どこでもそうだが大体私立中学に行かせるのは小学校から2.3人という数である。ほとんどの人はやらない。だからこの両親は普通の人たちではないのである。そして塾にやってくる子供たちは普通の環境で育っていない連中ばかり集まってくるのでそこでまたおのずと環境の変化が表れてくる。ここで考えなくてはならないのはその子供を将来頭脳で飯食わせるか体で飯食わせるかということである。頭脳とは公務員や大企業への就職。これには草食系を目指すべきであろう。

肉体で飯食わせるとはもう独立起業家になるしかない。これには「資本は体」であるから塾(学校がなくても塾はある)の休みの日にはできるだけ外に連れて遊ばせねばならない。その時間はライバルは勉強しているが、あえて連れ出す。仕方ない目先よりも将来である。

海へ山へ川へキャンプへ 自然に連れ出す。またカラオケ・パターゴルフ・ボーリング・ビリヤードなどの庶民の楽しむことも体験させる。外食・旅行・祭り・神社仏閣巡りも大切である。ありとあらゆることを子供のうちに体験させておく。どちらにしても大学生になればもう社会人の仲間入りになる。その時に解らないものはないようにしておくのである。

これが人を育てていくという過程である。これで答えが正しく出たならば、社会人として「後輩を育てる」という最も大切な責任も請け負えるであろう。それでこそスタッフである。そこまでくれば後輩は先輩の良いも悪いも関係なしに覚える。

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第194回 遊びこそが本当の勉強

2017年09月10日

「遊ぶ」って一体なんでしょうか。 実は、子供達にとって遊びとは、この世界を知るための大切な実験なんです。

積み木で遊んだら、木を積めるということから、重力や木の質感、積み方による工夫、積み木を積んだ時の形などなど、この世界の色んな側面を学ぶことができます。 そして、この積み木の経験を基盤として、社会に出てから、物づくりをおこなえるようになったりします。

また、ゲームをすれば、指先でコントロールして主人公を動かしますから、脳内と指先の連携が非常に強まりますし、ゲーム中に文字や絵が出るので、文字や絵の認識能力が高まります。 ゲームをすると、コンピューターに慣れ親しむことができます。 今の時代、インターネットやパソコン、スマホの時代ですから、ゲームをすること = 仕事の基礎勉強  となるのです。 実際のところ、ゲームをしていた子供達は、大人になって仕事をする時、パソコンやインターネットに難なく慣れていくことができます。

他には、ボール遊びであれば、サッカーや野球をすることにより、ボールを蹴ったり打ったりする時のタイミングや間合い、感覚の練磨になりますし、グループで行動するため、仲間と行動するということを学べます。 社会に出てグループ活動がうまくできる人たちは、やはり、子供時代にみんなでワイワイ遊んでいた人たちです。

 

他にもいろいろありますが、遊び=勉強なのです。 社会的にも、成功者のインタビューを聞くと、子供時代に自由に遊びまくった人が多いようです。 このように、遊び=勉強という図式がなりたつことを認識し、子供達には、どんどん遊んでもらうようにしましょう。 以上のことから、「遊んでばっかりしていないで勉強しなさい!」という言葉が、いかに矛盾した言葉であるかが分かります。 そうではなくて、本当は、「勉強ばっかりしていないで遊びなさい!」と注意した方が良いくらいです。 もちろん、学校の勉強も大切ですが、遊びも勉強なのです。 子供の発達を促すには、勉強も大切ですが、どんどん遊ばせてあげてください。

寺澤

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第193回 教育には「見切り発車」がつきものである⑤

2017年09月07日

シュンペーターは資本主義の原動力は「家族動機」にあると言っているつまり、「自分の家族のために遺産を残そう」という動機が働く原動力であると言っている。そうすると、家族ため、子を守るためだから、当然自分の死んだ後のことも考えて行動する。これこそが資本主義の原動力であると言っている。 昨日一国一城の主となることが男のロマンだったといったが、それはまさに「家族動機」からやってきていたのである。しかし最近は持ち家よりもマンションいや借家で住むことを好む方が増え、住まいよりも生活の中身を重視するという観念に切り替わってきた。それは大企業の経営者が経営者でありながらサラリーマン化してしまっているためにあるとシュンペーターは言っている。そこから家長制度は失われ、社長という権威も小さくなり、日本人みな欲求がなくなってしまい、官僚化=社会主義化してしまったのであるとも言っている。

つまりスタッフの根本にある人生観は、この「家族動機」をいまだに追求するものにあると言ってよいであろう。そこで最初に現れる「家族動機」は何か?それは子供の進路であろう。お受験をさせたいという願望が子供への塾通いに現れる。それは小学校3年生からだから2年の2月ぐらいには目標の中学と学力がある程度なければならない。偏差値で言えば4と5しかない。これまで子供を持っていくのに相当な親の労力がかかっている。受験は子供なのだがそれをコントロールしている親の方が大変なのである。これを目指したかどうかで親の地位・名声・収入も必然的に判ってくる。やりたくてもできない、いや考えもしない者にはスタッフを要求しても夢物語で終わってしまう。いや周りからつぶされると言い換えた方がよかろう。

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第192回 教育には「見切り発車」がつきものである④

2017年09月06日

さてそこで「躾とは何か」ということになるのだが、躾は字のごとく「身を美しくする」ということになるので、掃除・片付け・整頓などになってくる。

「勉強しなさい」も躾の一部であるが、現代の勉強は「暗記すること」になっている。「受験=暗記=机にじっとしている人」ということになる。これも一部躾が関係してくるのだが、どちらかというと親から受け継がれた天性のものといってよい。東大・京大行っている連中がみんな日本国での金持ちかというとそうでもない。東大卒の連中でも庶民はいるのである。となると勉強ができることは一つのバロメーターにはなるが、すべてではない。しかし社会人の基本は「躾されている」ことに尽きる。躾とはある面鍛錬となる。つまり打たれ強いことである。 なよっとしてちゃあきまへんわ。そこに歴史に学ぶのである。家長制度とは何だったのか。「威厳・権利・義務・分家・独立」大黒柱は強くなくてはならなかった。上座があり、風呂入る順番も食事に箸つける順番もしっかり決められていた。地震も雷も火事も親父も「怖いもの」だった。

そういった環境に育った連中は今は皆無になってきたが、なってきたからこそ彼ら彼女らが社会での「長」=スタッフになっていくのである。

社会での長と言われている人の人柄をよく観察すればよく分かる。それを見習えばいいのである。しかもまずは家庭でである。家庭でできないことが社会でできるはずがない。家庭でできて、社会でできれば次に考えることは「持ち家」である。いっぱしに一国一城の城主になるのである。これが男のロマンである。

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第191回 教育には「見切り発車」がつきものである③

2017年09月05日

さてスタッフになる条件がまたむつかしい。作業はもちろんのことである

作業は所詮一人芝居。自分を自分でコントロールすればよい。独身者の特権はまさにここにある。家族を気にしなくて自由気ままに生きていけばよい。ところが家庭を持ち子供ができると、自分のことはもちろん家族のことに対して責任を持たねばならない。何か子供がやらかした。それも親の監督責任とくる。学校の成績が悪い。これも親の指導責任である。ことあることに親の責任となる。

会社もそうである。ラインは自分の作業結果は自分のこととなるが、スタッフはメンバーの作業結果はスタッフの責任となる。しかも自分でも作業しなくてはいけない。まったく家庭における親の役割と同じなのである。特に20代の社員は、家庭における中学生位までと同じと考えられる。とにかく手間暇かかる。仕事が作業としてとらえてしまう。中には「作業さえできればよい」と真に視野の狭いものもいる。そこに違った環境からやってきた者を育てて行く大変さを目の当たりにすることになるすると便りべきものはその会社の企業文化=風土である。それにのっとって「躾」をして行くのである。それに素直に従えないものが9割あるだろう。しかし残った1割の者はスタッフになりえる。

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