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第60回 毎日仕事している中で不安に思うことはないか

2015年11月30日

今日今年入社した新入社員に土日の時間の使い方を聞いてみた。すると1時間も本を読んで勉強したりPCにつかまって情報を仕入れたりしていないという回答が来た。
これを聞いてこちらのほうが思わず「そんなことやっとったらいずれ使い物にならなくなるぞ」と荒立てて言ってしまった。
外回りは4人いる。その中で20代前半が2名、そして40代が2名である。40代の連中は遊ぶことしか考えていない。それか医者通いか日常生活、特に食事作りの話題である。
その2名と20代が一緒に働いているから20代の連中もおじさん気分である。いい若いものが全く自分に時間とお金をかけようとしない。だからこちらが青ざめてしまったのだ。
カール・マルクスの資本論を読んだことがあるのだろうか?そこには「何の生産能力もない者は自らの能力を売るしかない」「自らの能力を高く買ってもらうことが収入につながる」というようなことが書かれている。
何の努力もせずに「もっとお給料上げてください」「もっとボーナスください」なんて虫の良い話などありえない。
土日にせめて10時間は先ほど言った「自己啓発なるもの」をやらないと。
やらずにぼんやり生きていて自分の人生に不安を感じないのだろうか?若いくせに未来に対する願望がないというか、生き方が下手というか。
せっかくこの世にの生を受けたのならば思いっきり頑張ってみるということをしないでいいのか?
男性ならせめて年収700万はもらえるようになろう!女性ならそんな男性と結婚してさらにともに努力して2人で1千万稼ごうという意気込みはないのか?
「いえ世の中金ではありません」という人もいる。それはそれで結構。どうぞ社会主義の世界にでも行ってください。
しかし資本主義の世界に生きている以上人間の価値は必ず収入というものに置き換えられる。
また高収入の方はまあ年収2千万以上となるだろうがこの方たちは頭が低いし、言葉も柔らかい。
必然的に人間的にりっばであるし、またいろんな意味で知識豊富である。
若者は努力しろと言いたい。いい年して老人になってはいけない。もっと燃え上がれ!
目標を持て!あこがれる人はいないか?ほしいものはないか?物欲は大事たぜ。あれがほしいこれがほしいだからそれをつかみ取りたいから努力する。
動機は単純でいい。その思いと行動の積み重ねが人間的に大きくなっていく。
本読んでPCかじりついてそして世間を眺めてみる。また先輩の話を聞き、自分よりも3.4周り大きな人と交われ!

 

 

 

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第59回 12月を迎えるにあたって考えたこと

2015年11月28日

仕事は単純に作業をするということだけではない。慣れた者同士で作業し、ご注文も平坦であれば毎日が単純作業の繰り返しである。
しかし我々は必ず年を取る。年を取るということは若いうちは成長しなければならない。成長するから給与が上がる。
だが40歳超えれば成長などない。現状維持がやっとで、50歳超えれば退化していっている。 これらは内的なこと。
それもあるが外的要因である景気・天災などの環境の変化があり、
カタログの変更、機械の入れ替え、そしてこれが最も大変なのだが新入社員教育というものなどがあるので、 毎日が単純に過ぎるということは無い。
作業が単純であれば繰り返しの生活の中に目標を持ち、能力も自然に上がって売り上げも伸びていくのだが、
新入社員の教育、新導入機械への慣れ、新カタログへの対応などという作業は、目標到達ができるまでは全く売り上げアップにはつながっていない。
つまりお客様へのサービス力・商品力・販売力アップになっていないのだ。
その対策として今年は11月から来年度の新入社員にバイトという形で入社前研修に参加してもらい、 4月からのピークダウン状態でも売り上げが維持できる体制を取っています。
つまり4月のスタートには「教育」というものに比重がかかり、お客様に行かねばならない労力が半減してしまう。
それを回避するために 今から教育を行い、4月スタート同時に戦力として活躍しもらい、お客間にアピールできるようになってもらいたいという計画である。
そのために4月からどの仕事を受け持ってもらいたいか、すでに決めてあります。
あの人の性格からいってこれがいいだろう、あの人はあれが適任だろう。だからそれを見越して入社前研修をしています。
我々は今期は第40期という節目になりました。この節目にパンチのある新型商品を導入します。
またアイリスオーヤマさんの直売店にもなることができました。
1月からはHPにてアイリスオーヤマさんの商品も販売していきます。
これをきっかけに新しい株式会社藤榮になっていけるだろう そんな予感がします。
今それがとても楽しみです。

 

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第58回 課題は分離せよ

2015年11月23日

課題を分離せよとはアドラー心理学における考え方の一つで、他人の課題と自分の課題は別であると考える事を
指します。例えば夫婦や恋人、友人など相手がイライラしている時に、あなたが相手の事を思って行動したとし
ます。成功すれば何も問題はありませんが、人の気持ちを全て理解するなど不可能なので上手くいかない事の方
が多いと考えられます。上手くいかなかった場合、自分は相手を思って行動したのに、相手からしたらそんな事
は頼んでないと喧嘩になってしまいます。なので、ここで課題を分離する事が大切になります。今回の例では、
イライラを治すのは本人の課題なので関わらないようにすることこそが正解なんだそうです。しかし、相手から
「どうして何も聞いてくれないの」と言ってくるかもしれません。ですがこれは、イライラしていれば話を聞い
てくれると学習してしまい、結局は甘えであり放置したら関係がどんどん悪化してしまいます。アドラー心理学
において、人は目的のために感情を使うと言われています。イライラしているのは、相手を支配する目的やスト
レスを相手に伝える目的として使っているだけなので、これを繰り返すとお互いストレスがたまる一方となるの
で、相手の課題に対しては深く関わらず、見守る事が大切になるそうです。
また子供の教育においても同じことが言えます。子供のためを思ってというのがありますが、これは課題の分離
ができておらず、相手の課題を抱え込むことでストレスがたまりますし相手は自立心が育たなくなってしまいま
す。そのため課題の分離において大切になるのは、それを放置した場合困るのは誰かを考えれば良いそうです。
つまり、課題の分離とは他人の人生を必要以上に抱え込まない、自分の課題に他人を踏みこませないということ
になります。自分の課題を相手に左右されて何かを選んだ時に成功してもそれに誇りを持てない、失敗した場合
にはその人のせいにしてしまい自立心が育たなくなります。これが自分の選択なら失敗しても自分の判断なので
次はこうしようと前向きに考える事ができ、成功すれば心から喜ぶ事ができます。なので自分のため、そして相
手のために課題を分離する事が大切なんだと思います。
福田
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第57回 「?啄の機」というものを知っていますか?

2015年11月16日

仕事に置いて習うことの一つにお客様へのABCランク付けというものがある。
例えば100件のお客様があったとして上位20社までをAランク、50社までをBランク、残り50社をCランクといった具合にお客様を管理するという方式がある。
これは2.8の原則という物にもあらわさられ、売り上げの8割は2割のお客様で作りだされるという原則である。
また社内の行動も同じである。1年間の会社の成長はそのメンバーの2割の人で行われるというものである。
ということは最初から差別ではないが役割として「Aさんは引っ張る人」=管理者、「Bさんは言われたことができる人」=作業者、 「Cさんはもし良い人に恵まれたらその人の替わりの良い人を教育しよう」とされている人 といったところか。
野球がいい例である。明らかにAランクは常に試合に出られる。 Bランクは補欠でベンチ要員。Cランクは2軍か。
そして明らかにAランクには監督が自ら指導・叱咤・激励を行う。Cランクにはそれがない。というかその時間がないと言った方が良い。
そこで「?啄の機」というものがある。辞書で調べると、「禅で、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと。」とある。
どういうことかというと、ある鳥が卵を産んで温めていたとしよう。鳥が生まれる様子は卵の殻の中でひな鳥が殻をつつく。その音を聞いて親鳥もひな鳥がつついているところを外からつつく。すると殻は中と外から同時に同じところをつつかれるので割れて、新たな生命が誕生するということになる。
この小鳥を早く生まれさせたいということで親鳥がタイミング早く殻をつついて破ってしまうとその小鳥は十分成長していないので死んでしまう。
また逆に雛鳥が殻の中から一生懸命に殻をつついても親鳥が知らぬ顔であるならばまた同様雛鳥はこの世に生まれることなく殻の中で死んでしまう。
つまり「私はもうじき生まれます。準備できています」と小鳥が意思表示をする。それを聞いて親鳥も「そうかやっと生まれてきてくれるか。それでは立派に成長できるように導いてあげよう」と言うたとえである。
これが社会でもある。先輩が押し付け教育をしても覚える側がその気がなければ成長しない。逆に生徒が覚えようと思っていても先輩が教える気がない又はダメな先輩についてしまったら自分自身が成長しない。
ここに子弟が実にマッチしていないと成長しないんだということが良くわかると思う。
商売も同じである。いくらこの商品は良いものです。ぜひ買ってくださいお客さんと言ってみても、それより良い商品があればお客様はそちらを購入する。
逆にお宅の製品はいい。もっとたくさん売ってくれとお客様に言われても生産能力が追い付かなければお客様を満足させることはできない。

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第56回「あたりまえ」のことに感謝する

2015年11月15日

「あたりまえ」は実は「あたりまえ」ではないことが多くあります。

わたしは4歳児の母です。自分が親になって初めて子育てが大変なのかがわかり、親がどんな気持ちだったのかを考えるようになりました。

一人暮らしを始めて親のありがたみがわかったという人も多いですよね。距離が近すぎるとうるさく感じたり、やってもらえることに慣れてしまい、あたりまえだと勘違いしてしまいます。しかし距離をおいてみると、近くて見えなかったことが見えるようになり、親のありがたさがわかるのです。

みなさんは誕生日についてどのように考えているでしょうか。わたしも若いときは誕生日というのは誰かに祝ってほしいだとか自分のことしか考えていませんでしたが、本当はそうではなかったのです。

誕生日は親に感謝する日なのです。今生きていられるのは、親が生んでくれて育ててくれたおかげです。親に感謝することなんてないと言われる方も感謝するべきことはきっと何かあると思います。

祝ってくれる人がいないから自分の誕生日が嫌いだとか、もう年をとりたくないし祝ってほしくもないとか自分のことばかり言われる方もなかにはいらっしゃるようですが、感謝の気持ちを表す大切な一日なのです。

そして今日の自分があるのは親だけでなく家族、仕事関係、友達等のおかげです。いつもやってくれていること、言ってくれること、そばにいてくれることに日ごろからの感謝の気持ちを伝えるようにしたいです。

あたりまえのことに感謝することを習慣にするのにまず、日常生活のことにも感謝の気持ちを持つこと、気づくことが大事です。おいしい水が飲めること、ごはんが食べられること、おしゃべりができること、健康であること、勉強ができること、仕事があること、住む家があること等々。

あたりまえはあたりまえでないことに気が付くと、世の中感謝することばかりです。

みんながあたりまえのことに「ありがとう」の気持ちを忘れなければ、傷つけたり傷つけられたりすることもなく、不満を持つこともなくなり、何に対しても自信がつき、自分自身のことを好きになり、これからの人生がよい方向に向かうはずです。

良いことも悪いことも背中合わせです。例えば、事故や盗難にあった場合、それを運が悪かったと思うのか、注意を怠っていた自分への警告・サインだと思うのか、考え方次第で今後の自分が変わります。

誰でも目の前のことに気分を悪くしたり、イラッとしたりすることもありますが、視点を変えて違う方向から物事を見てみると、全く違う見方に変わります。

「ありがとう」は幸運を引き寄せる言葉だそうです。すべてのことに感謝の気持ちを持ち、そしてそれを相手に伝える習慣を身につけたいものです。

長文読んでいただきありがとうございました。

櫃田

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第55回 学校の作る“いい子”とは

2015年11月08日

ゆとり世代という言葉を聞いたことがありますか?ゆとり世代とはゆとり教育を受けた今の若者を指します。このゆとり教育により学力が低迷し、馬鹿が増えているのが現状です。

日本地理学会による、メディアによく登場する国の正式な位置を大学生、高校生に答えてもらう調査で、大学生の5割、高校生の7割がイラクの位置がわからないだそうです。この結果には驚きです。

上記のようなゆとり教育の思考力ゼロの若者が社会に出れば、若者層のワーキングプア、ネカフェ難民と厳しい環境におかれます。

そんな状態にも関わらず、どうして社会に送り出されるのか。これは一部の人間にとって都合が良いからです。この一部の人間とは日本を牛耳る政府や大企業=支配者です。第50回に紹介されている「バカを作る学校」にあるように、支配階級の都合のよいように義務教育が作られています。学校でお金の知識を教えてくれないのもそうです。余計な知識を持たれると都合が悪くなるから。そのために支配者は次のような労働者を求めます。

1. ”読み、書き、計算” といった最低限の識字をもっていること
2. 法律やお金儲けの知識など高度な知識はもっていないこと
3. とにかく命令を良く聞いて従順なこと

かなり自分勝手な内容ですが、これが学校教育に当てはまります。

1. この条件は社会生活をする上で必要不可欠なものです。これができない人はさすがに使い物になりません。教育崩壊しているとはいえ、”読み、書き、計算” を教えられなくなるほど崩壊しているわけではありませんので最低限の識字はゆとり教育でも若者に与えられているものです。

2. 労働者にとってはぜひとも身に付けたい知識です。しかし一方の大企業にとっては、労働者が法律やお金に関する知識や知恵をもってしまうと非常に都合が悪く、またお金儲けの知識をもたれても非常に困ります。お金儲けの知識をもてば自分で稼ぐことができるので、わざわざ劣悪な環境へ応募してこなくなります。そのため学校では法律やお金儲けの知識を全くといっていいほどに扱わず、「お金=悪」のイメージを植え付けています。今の学校は支配者にとって実に都合がいい仕組みになっています。

3. よく親や先生がホメる ”いい子” ってどういうものですか?いい子とは親や先生の言うことをキチンと従い、命令に絶対逆らいません。そして非常に従順です。親や学校で重宝され、ホメられるタイプである ”いい子” こそが支配者にとって都合のいい人間なのです。このような ”いい子” というのは親や先生からホメられるのが嬉しいために勉強を良くがんばります。しかし、このタイプの人間は自分のために勉強したのではなく、結局他人のために、他人に言われたから勉強した人間が大多数です。こういう人間は偏差値は高くとも、主体性がありません。論理的な考え方はできても行動力はありません。自分で考え判断して行動することがほとんどできないのです。そのため他人に完全に依存してしまいます。つまり優秀なのに意思がなく、命令を良く聞いて従順であるという、支配者にとって非常に都合がいい条件を満たした存在なのです。考えてみれば当然ですね。学校というのは支配者にとって都合のいい人間を作り出すのが仕事なんですから。

学校の教育というのは実に支配者にとって都合がいいものです。そして都合の悪いところは一切明かしません。一昔流行った「ドラゴン桜」のセリフにもあります。

「知らないというより大人は社会について教えないんだ。代わりに未知の無限の可能性なんて何の根拠もない無責任な妄想を押し付けているんだ。それを知らずに放り出される。そこに待っているのは不満と後悔だけだ」

「社会のルールってやつは全て頭のいいやつが作っている。そのルールは頭のいいやつに都合がいいように作られているんだ。逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。つまり頭使わずに面倒くさがっていると一生騙されて高い金払わされるんだ。騙されたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら勉強しろ」

山本

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第54回 天につばを吐く

2015年11月06日

天につばを吐くということわざがある。そんなことあるのかと思うがこんなことがあった。
日ごろ自動車の運転が荒い人がいる。心の中には俺は運転がうまいんだ。と思っているようである。
ある時自転車運転の女性にぶつかってしまった。悪気はなかったのだがついスピードが出すぎたようである。
事故処理をしていく中で反省してみた。そう言えば日頃から少しスピードを出しすぎていたな。自分の運転にうぬぼれていたと。
こんなことがあった。日頃車のドアを隣の車に平気で当てる人がいる。特に会社の車はひどい扱いである。
この人がある時車のボデーを知らない時に当てられて「誰がやった?」といろいろ聞いていた。
結局犯人は解らず仕舞いだったが、日頃からこの人は他人の車に平気でぶつけているので「ぶつけられて当然よ」と陰で言われていた。

このように日頃の行いが自分に帰ってくるということを自分自身に知らしめておいた方が良い。
そしてこれらをまた「神様が見てござる」という言い方もする。誰も見ていないだろうと少々悪事を企ても、その姿を神様が見ているからやってはいけないということわざである。
そんなこと関係ないという気持ちでやってしまうと結局最初に説明したように「天につばを吐く」つまりいつか同じことを自分にされるということになる。

ということでお互い気を付けたいものである。だが前回言ったように「やってしまった」という失敗は若い時は多々ある。その場合は素直に反省する気持ちを持ちたい。これはまたプライドという問題とは別である。

 

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